侮ってはいけない労働審判

侮ってはいけない労働審判

裁判所から届いた労働審判の呼び出し状

 顧問会社の社長が、突然、裁判所から呼び出し状が来た、と大慌てで電話してきた。差出人を聞くと、東京地裁民事11部。うーん、労働部か。まさか労働審判じゃないだろうな、と不安を感じながら、当事者は誰?と聞くと、申立人Aさんだという。申立人って事は、労働審判か。悪い予感的中。ざっと電話口で読んでもらうと、どうも未払いの残業代の請求を内容とした労働審判の申立のようだ。

松江「社長、できるだけ早く、その資料一式を持って、Aさんの雇用状況について、実態を把握できる人と来て下さい。」

電話を切った後、まず、手帳とにらめっこし、事務所を挙げての日程調整に大わらわとなった。

2006年から開始された労働審判制度は、まだ日が浅い割にはよく利用されている。東京地裁の例で言えば、年間1000件超の件数が毎年審理されている。月に80件程の申立である。私も会社側の代理人として随分対応してきたが、なかなか会社側としては侮れない制度である。

審理は、裁判官1人と労働関係の専門知識を有する労働審判員2人の合計3人で構成される労働審判委員会が、早期の審理で調停合意を目指し、合意が駄目でも、審判決定を出すというもの(審判に異議が出されれば、通常訴訟に移行)。

誤解を恐れず端的に言ってしまえば、要は労働者擁護の制度であるから、会社が無傷で終わることは少ない。また、裁判手続きが簡単であり、割と早期決着となるので、経済的に追い詰められている労働者にとってメリットが大きい制度である。

ポイント1 時間との闘い

 労働審判の多くは、呼び出し状が来た段階で、審理期日は既に1月後程度に設定されている。日程調整もさることながら、答弁書を期日の1週間前には書かなければならず、第1回の期日にはほぼすべての主張を証拠書類とともに準備しておかなければならないから、負担は大きい。

しかも、間違いなく、初回から、和解の打診をされるから、審理のための主張資料を用意するエネルギーに加えて、和解への心の準備もしておかなければならない。

社長「Aは勤怠に問題があり(仕事をしてるふりをして、ネットサーフィンで遊んでいる事が多かった)、それが原因で、上司や周りと揉めて辞めていったんですよ。こんな奴になんで払わなきゃいけないんですか?」

松江「気持ちは分かるけど、感情論で逃げている場合ではありませんよ。労働審判に持ち込まれる案件の双璧は、解雇の無効と、残業代ですが、経営者にとってみれば、優秀な労働者を解雇するはずがないのですから、「使えないからクビにした、何が悪い!」という気持ちは皆同じです。残業代にしても、「みんな文句を言わずに遅くまでがんばっていたのに、一番仕事しなかったやつが何で請求してくるんだ!」という社長の思いはよく分かりますよ。でも、解雇手続きに隙があるから、解雇無効の主張が成り立つし、夜遅くまで残っていた事(=働いていたことではない)が事実であれば、仕事をしていた訳が無い、残業せよと命令した事実はない、という立証を会社側がしなければ負けてしまうんですよ。侮ってのんきに構えている暇はないんです。」

ポイント2 波及する危険性

 恐ろしいのは、特に残業代を支払わざるを得ない事態に追い込まれると、他の従業員達からも、我も我もと請求を起こされる事態になることである。

松江「こういった請求をしてきそうな人は、まだいますか。」

社長「この件が伝われば、数人は相乗りしてくるかも。」

松江「社長、融資、受けませんか。」

社長「えぇぇ。」

労働問題の対策は「予防」に尽きる

労働問題は労働審判に限らず、事がおきてからでは遅い。ネットを検索してみると、ヒットするのは大半が労働者側を支援する専門家である。顧問弁護士もいない企業がこれをやられたら、弁護士を探す時間のロスだけでも被害甚大である。

できる対策は、「就業規則の整備」しかない。その「就業規則」がどのように、徹底して機能運営しているかを、証拠として残す業務慣例を作っていくことしかない。解雇には何が必要で、それをどう満たしたかをどう裁判所に提出するのか。残業は、どういう場合にどういう指揮命令系統で命じられ、その管理確認はどうなされているのか。それをどう裁判所に提出できる書類で残しているか。こうした証拠作りを常日頃から徹底するしかないのだ。

災難を福に転じる「感謝」の思い

冒頭の事案は、残業代については、残業実態がないことを必死で立証したが、申立の半分は実態が無いとされるも、半分については否定が難しいとされ、200万円の和解金を支払って終わった。ただ、これを皮切りに、残業代請求の審判が起こる、という後続部隊の攻撃はなく、受けた融資は新部門の開発と福利厚生などの諸整備に回せた。

社長「なんか俺、働かない奴が儲かる制度のように思えてならないんですが。」

松江「ははは、いいじゃない。会社の近代化のための授業料ですよ、Aさんは200万で終わりだけど、他の一生懸命働いてくれる従業員には、今後安心して働ける就業規則や様々な制度が完備されたし、会社にとっても、もうこんな裁判騒ぎに駆り出されることはないという組織の基礎ができたんですから。長い目で見れば、Aさんは御社の一番の功労者かもしれませんよ。感謝しないとね」

他人事ではなく、弁護士事務所も結構、労働問題的には無法地帯である。特に個人事業でやっているところでは、社保の完備すらほとんどない。私の事務所は平成24年に法人化し、社保も完備したが、社会保険料の請求金額を見て目が点になった覚えがある。毎月毎月、これを払っていくのは大変な苦痛であった。

しかし、身重だった従業員が流産しそうになって入院したときに、実に手厚い社保の保護が得られ、本当に助かった。彼女は何の心配なく、ゆっくり休みながら、出産することができたのである。元気に生まれた子供を連れて遊びに来てくれたが、経営者として報われた思いがした。この小さな命に感謝である。

秘書「よかったですね。無事出産できて。しかし本当に社保の保護って手厚いですね。あ、先生が産んでもちゃんと手当同じだけ出ますからね。」

松江「馬鹿言ってんじゃないよ(笑)!」